続・44歳 高齢出産日記

43歳で第一子・44歳で第二子出産

コンバインドテストについて①

コンバインドテストについての内容です。

この件に関しては様々な考えがあるかと思います。

センシティブな内容となり、

場合によっては不快に感じられる方もいらっしゃるかと思いますので、

懸念がおありの方はお読みにならないようにお願いいたします。。。

 

 

わたしが9週の時に初めに訪れた産院で、

初めての検査の時にこのスクリーニングの話をされました。

この時に受けたショックは、今思い出しても涙が出ます。

 

その医師は、わたしの妊娠が胚盤胞移植だと知って、

あからさまに顔色を変えたのが分かりました。そして、

体外受精の場合、胎盤に異常があることが多いんですよ。

 なので、妊娠後期からは総合病院の方に検診に行ってもらい、

 出産もうちではなく総合病院ですることになります。

 もちろん何の問題もなく出産して、翌日からまたうちに戻ってくる方もいますよ。」

と言われました。

知らなかったです。

わたしの周りには、たくさん体外受精で出産している方がいますが、

どの方からも聞いたことがありませんでした。

はじめての産院受診で不安な中、更に不安でいっぱいになりました。

 

そしてその後に、スクリーニングの話をされました。

その医師は、「受精卵の染色体検査をしていないんでしょ?」と聞き、

特に多くみられる3つの染色体異常について説明されました。

そして、「そのうちの2つに関しては、出産前に亡くなるか、出産後1,2日亡くなるけれど、1つに関しては長く生きるので調べた方がいい」と言ったのです。

(実際はもっと非人道的な言い方でしたが控えます。)

 

わたしはあまりにも驚いてしまい、言葉を失いました。

自分の中に芽生えた命、可愛くて愛しくて、大切でたまらないですよね。

だけど、医師ですら、障害があることに対して

このように考えている人も居るんだということも、初めて目の当たりにしました。

だって、普通は逆じゃないですか?

障害があったって、長く生きる命の方がうれしいじゃないですか。

ダウン症も平均50歳とかまで生きられるのだから。

しかし無知だったことも否めません。

わたしと主人は、どちらも高齢ですから、リスクに関しては覚悟していました。

なので、障害があっても大切に育てようという意見は一致していました。

しかし、生まれてすぐに亡くなるという状況に関しては、知識がなかったのです。

 

コロナの影響で、診察室に入れたのは私だけでしたから、

主人にはこの内容をソフトに伝えました。

主人の考えは何も変わらず、例え短い命だとしても、大切にしたいと言いました。

だけど、わたしは相当ナーバスになっていました。

今思えば、医師の言葉や考え方に、かなり、相当、精神的に参ったのだと思います。

すぐに終えてしまう命だとしたら、

その後に私がもう一度妊娠することはかなり難しいこと。

それであれば、この命とはもっと早くにお別れをして、

今すぐにもう一度移植をした方がいいんじゃないか、とも思えてきたのです。

わたしは子供を産み、そして育てたい。と。

 

医師が進めたのは、NIPTの検査でした。

この検査は産院では行っていないけれど、やっているところたくさんあるから、と。

産院で行っているのは、妊娠11-13週にのみ受けられる、

初期スクリーニング(エコー検査)と、

コンバインドテスト(エコー+採血検査)でした。

 

 

ちなみに、この時点でわたしは産院を変えることを考えていました。

だけどこれが普通なのかなぁ、、、と、初めての経験なので分からず、、、

先輩ママ3人にこの話をしてみたら、「絶対その医者おかしい!!」と

みんな口をそろえて言ってくれたので、自信をもって移りました。

移転先は総合病院の産科にしました。

総合病院では、以前の採卵後のトラブルでの入院や、

胎盤ポリープの時にとても親身に治療・対応してもらっていました。

だからこそ、分院であるこの産院に決めたのですが、、、残念でした。

総合病院では、妊婦さん以外もたくさんの人が訪れるので、

本当は分院の方で検診を続けるのがおすすめ、と言われました。

確かに、総合病院は待ち時間が長いし、

コロナ禍にあって、通常以上に注意が必要とは感じていますが、

現状、主人もエコーを見せてもらえたり、診察室に入れたりしているので、

そして何より、医師も前述の医師のような考え方ではなかったので、

移って良かったと感じています。

 

 

 

話が飛びましたが、夫婦で話し合った結果、

医師の進めたNIPTは受けず、

産院でのコンバインドテストを受けることにしました。

主人は、まずわたしの ”分からないという不安” を

ぬぐうために受けようと言ってくれました。

わたしの性格をよくわかってくれていると思いました。

 

 

検査は13週に行うことになりました。

1週間以上時間が空いたことや、転院したことで、

 

わたしの心は落ち着きを取り戻しつつありました。

どんな結果も受け入れる覚悟が出来ていました。

それよりも、4週間我が子の姿を見られない予定から、

その間にもう一度見られることが楽しみになっていました。

 

あのはじめの医師に関しては、わたしは今でも軽蔑しています。

 

次へつづく